カテゴリ:Thinking( 20 )
割り箸をめぐる諸問題など・・・その3
そういえば、
「割り箸を生産するために、東南アジアの貴重な熱帯林が消えています!」
とかいう意見をよく聞いたが、あまり熱帯産材の割り箸は見た記憶がない。
中国産のヤナギ科とかが原料のものはよく見かけていたのだが。
ありがちな、思い込みや事実誤認に基づく感情的な環境保護論は
有害無益を絵に描いたようなものだ。

東南アジアの貴重な森林資源は割り箸にするよりも、
製材して建材などにしたほうが高く売れるんじゃないかと思う。
少なくとも、近年ではほとんどの国が資源の保護と、国内産業の活性化のために
丸太の輸出を禁止して、加工品を輸出するようになっている。
そんな国々が、折角の丸太からわざわざ割り箸を生産するとも思えないのだが・・・。
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by climberkitune | 2006-05-12 23:07 | Thinking
行動指針となる論理
何かをする時、物事を判断する時にその遂行や決定の基準となるもの、
精神的な根底にあるものが「情」か「力」か。
近年の世相では「力」のほうがあきらかに優位に立っているような気がする。

以前は、

 「力の論理」で動いてきた西洋的な文化
  と
 「情の論理」で動いてきた日本的な文化

という感じで比較されることが多かったと思うが、
近来は日本でも「情の論理」より「力の論理」が持てはやされているようだ。

どちらの論理が正しいか、あるいは人々をより幸福に、あるいは繁栄させるかということは、
かなり長い時が経た末に、過去の事としてしかその回答を得ることはできないだろう。
たとえば、かつて社会主義や共産主義が持てはやされた時期もあったが、
今ではそれらの思想はあまり受け入れられないものになっているように、
時の流れがその妥当性を浮き立たせてくると思う。

しかし、後の世の人がそれをどう評価するかも大事だが、
それよりも今の世の人がそれをどう評価するかという事も重要だろう。

-----

書き溜めてストックしてある記事候補の中に、こんなネタがあったのだが、
最近ベストセラーになっている『国家の品格』という本でもこんな事をいっているらしい。

もう少し推敲して肉厚な内容にすれば私もベストセラー作家になれたかもしれない?
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by climberkitune | 2006-05-11 20:09 | Thinking
割り箸をめぐる諸問題など・・・その2
最近はあまり耳にしなくなったが、
割り箸の代わりにプラスチックの箸を持ち歩く事で
資源保護をしよう、と主張している人たちがいた。
割り箸は使い捨て、プラスチックの箸は半永久的に使えるという事らしい。

なんともナンセンスで、目先の事しか見ていない無能なアイデアとしか言いようがない。
割り箸の材料、木材は木を植えれば育てる事ができる無限の資源。
プラスチックの材料、石油は有限の資源。
そんな事も判らない程度の資源保護運動なんか消えてなくなれ!

・・・と思っていたのだが、やはり長続きしなかったようで、
気づけば、箸を持ち歩く人はほとんど見かけなくなった。
貴重な石油資源を保護するためにプラスチック箸の普及を抑えたのではなく、
流行が廃れただけと思って間違いないだろう。
所詮その程度の意識の運動だっだと思う。

って、それ以前に、何で安っぽいプラスチックの箸なんだろう。
なぜ普通に塗り箸を使おうとしなかったが不思議でならない。

-----

ところで、プラスチックの箸の携行を推奨していた皆さん。
当時使ってたプラスチックの箸、まさか捨ててないよな?
当然、今でも大事に使ってるよな?
割り箸と違って、プラスチックの箸は半永久的に使えるんでしょ?
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by climberkitune | 2006-05-10 08:28 | Thinking
割り箸をめぐる諸問題など・・・その1
日本で使われている割り箸のほとんどを輸出している中国が
割り箸の生産制限をはじめたようだ。
(参考記事はこちら)

別に今更騒ぎ立てるまでもなく、こうなる事は十分に予測できたはずなのに
危機意識がないのか、それとも本当に無知な人が多いのか、
相変わらず土壇場になってから騒ぎ出しているのが何とも情けない。

ちなみに、国産の割り箸を作っていた工場もあるにはあったのだが、
安価な中国産との競合に負けて、今では生産していないところが多い。
国産の産業を保護しないで、安いほうへ安いほうへと流されている日本の現状が
こんな形で表れたと思って間違いないだろうが、
今回は割り箸程度のもので本当によかったと思う。

これが、食糧とか工業原料だったら目も当てられなかったはずだ。

たとえば食品関係については、中国辺りが
「今後日本向けの輸出を一切禁止する」
とか言い出したら、かなり深刻な事態になるのではないかと思うのだが。

食糧にしても工業原料にしても、一見すると平和的な物資と思えるかもしれないが、
使い方によっては貿易や経済戦略の重要な武器であることを忘れてはいけない。
今の日本国は外国からの資源が絶たれたら、
全ての状況において危機的な状況に陥ることは疑う余地はない。
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by climberkitune | 2006-05-09 17:40 | Thinking
愛国の対価

教育基本法の改正で、愛国心に関する表現の盛り込みが話題になっている。
そもそも、この愛国心という表現そのものに非常にあいまいなものがあり、
国家を愛せといっているのか、それとも日本という郷土を愛せといっているのか
あるいはわれわれの持つ文化を愛せといっているのか?

言わんとする事が何であれ、こうも与党内での合意のためとか
野党の反発への対応とかでその表現をコロコロ変えている辺りを見ると、
その本質がどこにあるのかが全く見えてこない。
目先の都合に合わせて、とりあえず無難な表現でまとめるような事をしていては
将来的にその解釈をめぐって不毛な議論が繰り返される事になるのではないか?

しかしこの際、そんな些細な事はどうでもいい、と言い切ってしまおう。
そんなことよりも、もっと気になることがある。

今の日本を愛する代価として、今の日本は何をしてくれるのだろう?

国民のために、まやかしではない本当に明るい未来を用意できるのか?
納税者に対して、税金に見合うだけの還元ができているのか?
諸外国からの脅威に対して、国民を保護する事ができるのか?
誇るべき固有の文化を継承していく事ができるのか?

国としてあたりまえの事ができないのに、一方的に国民に国を愛せという。
この辺りの問題点について、もう少し考える必要があるのではなかろうか。

それとも、愛というからには、代償を求めず全てを捧げろとでも言うのだろうか。

さらに余談
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by climberkitune | 2006-04-28 00:31 | Thinking
それを蔑視という
しばらく前の事だが、TVで某・自称フェミニストの人が"看護婦"という表現をめぐって
「看護婦の婦という字は"ホウキを持った女"という意味なんです」
「ホウキを持った女というのは、つまり女性を見下しているということなんです」
と、"婦"という表現は女性蔑視である、という趣旨の熱弁を振るっていた。

つまりその思考によれば、
ホウキを持った人とは見下される対象でしかないという事なのか?
掃除をするということは、それほどまでに卑しい行為でしかないのか?

そんな考え方こそ、人を、あるいは仕事を蔑視しているとしか言いようがない。

その程度のレベルでしか物事を捉える事ができない人が
人前で女性の立場や権利を声高に論じているようでは、
フェミニズムという思想は、絶対に一般社会に浸透できないのではないかと思う。

もし、本当に世の中から差別や蔑視を無くしたいのであれば、
他にもっと言うべき事があるのではなかろうか?
それとも、その人たちの言うフェミニズムとは所詮その程度の
揚げ足取りの言葉遊びでしかないのだろうか。

-----

私はもともと、女性を蔑視する事は問題だと思うが、(ただし、"蔑視"と"区別"とは別物)
この手のフェミニストを自称する人たちの意見には、
いつも賛同できる点がほとんど見られない。むしろ不快感を感じる。

それは自称フェミニストの多くが、自分達の事を
"自分が女性を代表している" と決め付け、
"世の中の女性は全て被害者である" という前提のもとに
"自分こそが唯一無二の正義だ"と信じているようにしか見えないからだ。
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by climberkitune | 2006-04-27 23:55 | Thinking
下げられた頭の価値
頭を下げて何かを頼むとき、「人情」という要素を排除するならば
下げられた頭の価値は、その人の価値に比例するだろう。

何らかの理由で優位に立っている人、何らかの手札を持っている人が
頭を下げて物事を頼むとき、それには非常に大きな価値がある。

逆に、何の手札もなく窮地に立っている人が頭を下げてみても、
その行為にあまり価値はないだろう。
何も手札がない人であれば、切り捨てても何ら惜しくない。

他に手段があるものの、穏便に話を進めるために頭を下げているのか・・・
他に手立てがないため、そうするより他になくて頭を下げているのか・・・
見分けることは簡単な時もあるが、意外と難しいときもあるだろう。
この辺りが、交渉の駆け引きの難しさの一つかもしれない。

さて、欠陥マンションを売りつけたとされる某住宅販売会社の社長には
問題を解決する実質的な手札もなく、
また人の情けにすがり付ける状況でもなさそうなので
その頭を下げたところで、実質的な価値は微塵もないようだ。
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by climberkitune | 2006-01-23 23:42 | Thinking
戦争と平和と【1】
1941年、太平洋戦争勃発。
追い詰められた日本は起死回生の戦争を始めた、あるいは
列強の一国として、アジア・太平洋地域に侵攻を開始した、とも言われている。

これを生存のための防衛戦争として完全肯定する気もないが、
国家拡張のために一方的に戦争を仕掛けたという意見にも同調出来ない。
それはむしろ些細な事項であって、そんな事よりも
「その日」を論じるよりも「それに至る経緯」をもっと知るべきだろう。

良しにつけ悪しきにつけ、64年前に始まった戦争を経た上で、
今の現代の日本がある。

現状からどんな未来が来るか、それは誰にも判らない。
不幸な未来を招かないための様々な行動が必要であるのは当然だが、
現在のの日本の外交や内政から不幸ではない未来を創り出す事ができるのか、
という事を本気で考える必要があることは間違いないだろう。
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by climberkitune | 2005-12-08 21:15 | Thinking
粛々考
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しゅく-しゅく【粛粛】
1.つつしむさま。
2.静かにひっそりしたさま。
3.ひきしまったさま。
4.おごそかなさま。

広辞苑第五版より
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最近のニュースを見ていると、政治家が
「粛粛と法案の成立を云々・・・」といったような表現を使う事が多い。
その言葉の意味は上のようなものなのだが、
発言している人間が、明らかにこの4つのポイントのうち、
どの要素も備えていないことは一目瞭然だ。
どうやら、こんな言葉を使う政治家は"下品な人間"のようだ。

一方で、近々皇族と結婚する事になる黒田慶樹さんが
正月にTVレポーターのインタビューに対して
「今年も清々粛々と仕事に取り組んでいきたいと存じます」と発言している。
この人の場合は、上記の4つのポイントを兼ね備えているように見える。
こういう人が、本物の"育ちの良い人間"なのかもしれない。
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by climberkitune | 2005-07-20 21:19 | Thinking
学校教育
定められた回答ができるかどうかが優先されて、
それに至る経緯は評価されない。
知性よりも知識のみが求められている現状の一つ。

しかし、これでも教育の方針は「個性を尊重」しているようだ。
どんな事を教えるにしても、大切なのは回答に至る経緯や、
その事象の持っている意味を知るという事を
もっと大事に扱うべきではなかろうか?

性急に結論のみを要求する学校教育の結果が
現在の社会にも反映されてはいないだろうか?

教える教員の負担も大変だろうが、
教育のプロとして給料をもらっている以上は、
ちゃんとそれを踏まえた教育を施してもらいたいものだ。
世間では、給料相応の仕事が出来ない者には給料はもらえないのだから。
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by climberkitune | 2005-04-26 00:00 | Thinking



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